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2010年12月 アーカイブ

梶谷エルダー天国へ・・・その2 ありがとうございました

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燃える豆魂日記【豆腐道とうふみち】にようこそ。
山下ミツ商店の山下浩希です。


大学を卒業しマルエーという地場食品スーパーで働いていた僕は入社1年と6ヶ月で当時で80歳を超えていた祖母ミツの「もう疲れたから止める」という一言に「じゃー僕が継ぐよ」と言って退社した。

家業を継ぎ一年近く経った夏、鶴来の高田醤油醸造元の高田さんから「9月に金沢で商業界北陸ゼミがあるので出席しないか」と誘われた。

「商業界ゼミナールってあの芝寿しの社長が委員長をしていたゼミだ。僕みたいな20代半ばの個人商店の豆腐屋の跡継ぎなんか出てもいいのかな?」とためらったが

高田さんから「歳とかお店の規模なんて関係ないよ。みんな良い人ばかりだから・・・芝寿しの梶谷社長も紹介するよ」と言われ

「え?あの芝寿しの社長を紹介してくれるんですか?出ます!」と完全にミーハー気分で申し込んだ。

その北陸ゼミ。初めて出席なのに「人手が足らないから手伝って」と高田さんから言われて会場係をした。結局、そのゼミでは梶谷エルダーを紹介してもらえなかったが、僕は完全に商業界の教えに嵌り、そのまま石川県同友会に入会した。

この様な経過で梶谷エルダーの居る商業界石川県同友会に入れて頂いたのだが、梶谷エルダーとの最初の会話の場面が具体的に思い出せない。

梶谷エルダーと何でもお話出来る様になったのは商業界同友会の例会にいつも僕が御自宅にお迎えに上がり金沢市内のホテルまで一緒に行くようになってから。車中でいろんなお話をしてくださり勉強になった。

梶谷エルダーのお話は殆んど商いの話で梶谷エルダーのお話を聞いていると商いの楽しさや商いの世界に身を置ける事の幸せをいつも感じる事ができ嬉しかった。当時の僕は梶谷エルダーの運転手兼かばん持ちをさせて頂けるだけで幸せだった。

よくお手紙やFAXでも御指導頂いた。山下ミツ商店の為にいろんな事を考えて下さり事細かくストーリーまで書かれていて、実行すると梶谷エルダーの描いたとおりの展開になった。何故かそのとおりになるのだ。


また、商業界での勉強や仕事以外、プライベートでもお世話になった。

30歳を超えても独身だった僕に夫婦で一緒に商いをする事の素晴らしさを話してお見合い話を持って来てくださったりもした。

現在の妻の榮子と結婚する事になり僕は母より先に梶谷エルダーに報告に行き媒酌人のお願いをした。それは確か10月中旬で梶谷エルダーから「いつ式を挙げるんや?」と聞かれ

「来春くらいに・・・」と答えたら「年内にしろ!」と命令された。

「年内って・・・12月は年末で忙しいですし・・・」ともぞもぞしていたら

「善は急げや。結納とかはせんでいい。結婚式と披露宴をしっかりやればいいんや。僕に任せなさい!」と言って

日時「11月30日」。

式場「白山比咩神社」。

披露宴「和田屋」で会費制・・・とぱっぱっぱっと一人で決めて僕等はその話にそのまま乗り式を挙げた。

後である会に一緒に出席した時、梶谷エルダーが「この山下君は白峰で豆腐屋をしていて・・・・この前、『来年の春に結婚したい』と言ってきたんやが、白峰の雪を向こうのお母さんに見せるとこの話が流れてしまうと思って『年内にしろ!』と言って11月30日に僕が結婚させたんや」と僕を皆さんに紹介した。・・・「善は急げ!」でなくて、そういう事だったんですか梶谷エルダー!


3年前くらい前から梶谷エルダーは少し耳が遠くなり商業界の例会でも「先生の話が聞こえないから・・・」と言って例会最初の商業界故倉本長治主幹の著書の朗読だけして帰るようになった。

4ページの朗読と解説。

時間にして数分。

たったこの数分の為に例会に出席して下さっていた。梶谷エルダーのよく通る声でのゆっくりメリハリをつけての朗読は僕等例会出席者の心に商業界精神を沁みこませた。

ここ1年は足も不自由になり欠席が続いた。でも、たまに御自宅に顔を出すと同友会の運営や北陸ゼミについてアドバイスを下さった。

アドバイスを受けても梶谷エルダーの御意見に沿えない事もあった。そのような時は後で僕等なりの考えを改めてを説明すると「解った。思う様にやりなさい」と若い僕等を認めて下さった。そうやって僕等若い同友を育てて下さったのだ。

この様に25年間、ありとあらゆるところで御指導頂いた。

弘記から浩希に改名した事。

新工場建設の事。

御夫妻のダイヤモンド婚式に夫婦で招待頂いた事。

・・・・・・・・等、

書いても書いても書ききれない。

梶谷エルダー無しに現在の山下浩希は在り得ない。


梶谷エルダーが登場する豆魂日記は
ここここここここここここここここここここここここここここここここここここ




梶谷エルダーに最後にお会いしたのは9月13日(月)。翌日加賀市片山津温泉で開かれる商業界北陸ゼミナールの準備の為にお昼に会社を出発し白山比咩神社でゼミ成功の祈願をし、その足で梶谷エルダーの自宅に寄り「今から北陸ゼミに行ってきます」と挨拶をした。

梶谷エルダーから「よく頑張って準備した。行ってこい!」とお言葉を頂き

「行ってきます!」と返事をして片山津に向かった。

まさかそれが最後になるなんて・・・まったく思いもしなかった。

梶谷エルダーは動けなくなっても100歳まで生き続け僕等を指導してくれると何の疑いも無く思っていた。

1ヶ月程前、梶谷エルダーの御自宅の隣に住む梶谷社長の奥様香月さんに呼ばれて御自宅にお伺いした。帰りに梶谷エルダーにも顔を出そうかと思ったが特に用も無かったし12月にはいつも夫婦で挨拶に行くからと寄らなかった。

こんな事になるなら顔を出しておけばよかったと悔やまれてならない。


「周りの人に迷惑をかけたくない梶谷エルダーは皆が忙しい12月を避けて11月30日を選んであの世に行ったんだよ」と誰かが言った。

11月30日は僕等夫婦が梶谷エルダーに媒酌人をしていただき結婚した日。不謹慎かもしれないが「なんで11月30日なんですか?」と思った。

「毎年結婚記念日を忘れて榮子さんに叱られる浩希が忘れないように選んでくれたんだよ」と友人に言われた。

最後の最後までお世話になってばかりだ・・・・。





梶谷エルダー

人に与え続けた全力疾走の97年の人生、

本当にお疲れ様でした。

天国でゆっくりお休み下さい。

梶谷エルダーと出会えて本当によかったです。

僕は幸せ者です。

これからももっともっと御指導頂きたかったです。

数え切れないほどの徳を頂きながら何のお返しも出来ませんでした。

お許しください。

これまで頂いた御指導を胸に生きていくことをここに誓います。

どうかこれからも天国から笑顔で僕らをお見守り下さい。

本当にありがとうございました。


※最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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梶谷エルダー天国へ・・・

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芝寿し創業者の梶谷忠司相談役(商業界エルダー)が一昨日11月30日朝8時前に97歳の天寿を全うし大往生を遂げた。

一昨日のお昼頃、商業界石川県同友会で事務局を担当している山本寛修さんから連絡が入った。御高齢とは言えこれまで梶谷エルダーがお亡くなりになるという事などこれっぽっちも考えた事もなく「梶谷エルダーは100歳まで生きるんだ」と思い込んでいた僕は信じられないというより事実を受け入れられない、信じたくないという感じで頭が混乱した。

直ぐに長男の梶谷晋弘社長に電話をすると「今朝、眠るように静かに亡くなったよ」といつもの明るい声で話してくれた。梶谷さんは心の準備が出来ていたようだ。

「何かお手伝することありますか?商業界関係への連絡等しましょうか」と言ったが

「東京の商業界にはさっき電話して高岡さんに伝えたよ」「父の遺志でお葬式もしないから親しい人にしか伝えていないんだ。だから何もしなくていいよ」という応え。

誰よりも悲しいはずの梶谷さんのいつもと変わらない声を聞いていたら涙が込み上げてきて声が出難くなる。

「これから行ってもいいですか?」と言ったら

「どうぞどうぞ」言って下さり金沢四十万の御自宅に向かって車を走らす。御自宅までの一時間弱、いろんな想いが頭を過ぎる。

御自宅に着くと本当にあまり誰にも伝えて無いらしく御家族と御坊さんしか居なかった。

奥の部屋に入り梶谷エルダーのお顔を見る。綺麗なお顔だ。ただ、物凄く痩せていた。最後にお会いした9月にはこんなに痩せていなかったのに・・・。

長居してはいけないと思い「明日は夫婦でお参りさせて下さい」とお願いし御自宅を出て向かいの公園のベンチにしばらく座っていた。

訃報を聞き付けた方々が御自宅に入っていく。その中には商業界同友会で御一緒している(株)小林太一印刷所の小林社長やアーク引越センター北陸(株)の西野社長等も。

焼香を終えた小林さんと公園で梶谷エルダーの思い出を語り合った。

翌日、妻の榮子とお通夜へ。
「自分が死ぬことで、スケジュール変更させてお通夜や葬式に出てもらいみんなの仕事に迷惑をかけたくない」という根っからの商人で周りの人に人一倍気遣いをする梶谷エルダーの遺志で新聞のおくやみ欄にも載せなかったので御親族と梶谷エルダーに親しくお世話になった人だけが参列していて、お取引先らしき人は見えない。

参列者の中には五郎島金時の焼き芋を全国に販売している(有)かわにの河二さんもいる。涙で目が真っ赤だ。

河二さんはお昼前、「今、東京なんですが梶谷相談役がお亡くなりになったという情報が入ってきたのですが山下さん、本当ですか?」と電話をかけてきた。自分から梶谷エルダーの訃報を広げるのは控えていたが、問い合わせてきた人には話したほうが良いと思い「今晩お通夜だから河二さんも来たら」と勧めた。

河二さんも10数年前までは、すいかと五郎島金時の栽培だけをしていた農家だったが、梶谷エルダーから「五郎島金時を焼き芋に加工して付加価値を付けて売れ」とアドバイスされ実行し大繁盛。この夏、新工場を建設し竣工式には梶谷エルダーも駆けつけて下さったそうだ。

お通夜の後、御自宅の向かいにある工場の2階の和室でお寿司を摘みながらみんなで梶谷エルダーの思い出を梶谷さんの指名順に話した。皆さんのお話を聞いていて、如何に梶谷エルダーが人々に徳を与え続けていたかを改めて実感した。


そして今日、10時に出棺されるという事で、最後のお別れに行ってきた。

葬式はしない。

それぞれが焼香を済ませ10時。

出棺。

本当に最後のお別れだ。

奥様のさわ子さんも泣き崩れる。

僕も涙をこらえ切れない。

梶谷エルダーの遺体は火葬場でなく、これも梶谷エルダーの「死んだ後でも世の中の為に役に立ちたい」という遺志で金沢大学医学部に献体された。

正に、最後の最後まで周りの人々は勿論、社会にまで与え続けた97年の人生。


芝寿しは石川県に住んでいるいる人なら知らない人はいないくらい有名な「笹寿し」という押し寿しを中心とした弁当メーカー。

僕も学生時代、夏休み等で帰省し学校が始まり大阪に戻る時は決まって芝寿しの「笹寿し」をお土産にしていた。


僕が梶谷エルダーを知ったのは26年前。マルエーという地場食品スーパーに就職して働いていた時、たまたま休日だった水曜日、『モーニングショー』という朝のワイドショーの中に「宮尾すすむの日本の社長」というコーナーがあり梶谷エルダーが出演されたのを偶然観た。

梶谷エルダーの御自宅のお風呂はお湯の張ったお風呂と水風呂の2層ありそこを梶谷エルダーが7往復し、それを真似しようとした宮尾すすむが余りの水の冷たさに震え上がったりする場面や白山比咩神社でのお一日参りの帰りに食べた笹餅が「笹寿し」商品化のヒントになった事を話される場面、御家族が玄関の前に出て梶谷エルダーが作詞した替え歌「我ら人生60から」を合唱する場面等があり、その時は「金沢の芝寿しの社長って面白い人だなー・・・」という感じで笑いながら観た。

その後、スーパーで働いていた関係で購読していた商業界の『食品商業』という雑誌に商業界箱根ゼミナールの案内が出ていた。そのゼミの運営委員長が梶谷エルダーで写真とお名前が出ていて「あの芝寿しの社長だ・・・」とその時完全に梶谷エルダーの顔と名前を覚えた。

でも、その時はまさか自分が商業界ゼミナールに欠かさず通うようになる事も、

それがきっかけで梶谷エルダーと直接知り合い御指導頂くようになる事も、

結婚式で媒酌人を務めて頂くようになる事も、

まったく思いもせず、考えもせず、夢にも見なかった。

つづく。


※最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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