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夢は叶えるもんだ!

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燃える豆魂日記【豆腐道とうふみち】にようこそ。
山下ミツ商店の山下浩希です。

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商業界ゼミナール全国連合同友会総会2日目。
先ず、来月から始まる地方ゼミの案内。僕も北陸ゼミの案内をした。


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続いて講演。
(株)ティア代表取締役の冨安徳久氏の「夢は見るもんじゃない!叶えるもんだ!」


小才は縁に出会って、縁に出会わず
中才は縁に出合って、縁を活かせず
大才は袖触れ合うも多少の縁

私は縁という言葉が大好きだし、とても大切なことだと思っている。商売はリピーター。あんたのとこともう一回付き合いたい。「葬儀業界のリッツ・カールトンになるぞ」と社員に言い続けている。
「遺族を最愛の人だと思って仕事をする」ということを最初に働いた葬儀会社で教えてもらった。死はキレイごとではない。本当にいろいろな死がある。遺族も触りたくないような死もある。そんなときこそ、遺族に成り代わり、故人をきちんとお送りする。それを本当に本気でやり続けてきた。サラリーマン時代は、そういう気持ちでやり続けていたら、勝手に店長に、地区長になり、給料は20代で1,300万円になっていた。でも一度も出世するためとか、お金のためとか、で仕事をしたことはない。
父親が危篤と言われて、最初の葬儀業の素晴らしさを教えてもらった会社を辞めて田舎へ帰ってきた。実は危篤というのはウソで、自分を呼び戻すための方便だった。そしてその後二つの葬儀会社で働いて、独立した。理由は生活保護のお金をほとんど取れない人の葬儀は儲からないから引き受けるなと会社に言われたことだった。
小さい頃から富安家の躾は、みんあ「自立」する家族だからねということだった。うるさく言うことは何もなかった。静かなる躾と自分は呼んでいる。靴を揃えろといわれたことは一度もないが、いつも富安家の玄関の靴は揃っていた。
最初の職場で、アマチュアのサラリーマンになるな、プロのサラリーマンになれと教えられた。プロとして責任を持て。店長なら店の経営者だ。借入して出店するなら、自分が銀行借入の印鑑を押すつもりでやれ。社長になったら、いろいろな社員をいかに活かすか。
「行いは我に有り。評価は他にあり、我関せず」
行動には自分で責任を持つ。評価されないという不満は自分で自分を評価しているからだ。とことんやれば、いつか必ず廻りは認めてくれる。そこからしか天職は拓かれない。
 人のために生きることで自分の飯の種になるとしたら、そんな幸せなことはないよ、と祖母に小さい頃から言われ続けた。刷り込まれた。それこそが教育。教育は、良い環境を作ること。乱雑に靴が散らかっている玄関では、平気で脱ぎっぱなしになる。きちんと揃っていれば、後から来る人もなんとなく揃えて上がってくる。
犯罪心理学の「ブロークン・ウインドウ理論」。割れたガラス窓をそのままにしておくと、他の窓まで割られていく。すぐに直せば、割る人は居なくなる。汚れた乱れた環境に居ると、人間の心も荒んでくる。社内のティア・アカデミーでは3ヶ月に1度「命の教育」「命の尊さ」、呼び戻し研修をやり続けている。将来できればそれを学校法人として、社会教育にしたいと思っている。
仕事は「志事」。会社に仕えるような、お金に仕えるような、仕事はするな。人生観は「尽生感」。生きることは尽くすこと。荒んだ気持ちで、遺族に寄り添って儀式を提供できるのか。
宗教や地域の特性を学ぶことは当たり前。その上で、ティアの心で遺族に寄り添う。自分の人生を成長させるために、ティアという職場を使って働く。
何のために生きているのか?世のため、人のため、役立つために生きている。葬儀会館を何かの時の災害避難拠点にさせてもらったり、地域に役立てる仕事をしようと努力している。
『願心なきは、菩薩の魔事』。志がなくては、菩薩といえでも悪魔のような心が入り込んできてしまう。
今は大人が格好悪い。もしお母さんが、お父さんが働いている代わりに、いつも子どもたちのために私は家事を頑張るのよと毎日明るくしていたら、子供たちから見てお母さんは格好よく見える。サラリーマンだって同じ。格好いいサラリ―マンになれる。そのためにプラス思考。さらにプラス発声。声は大切。絶対にマイナスの言葉は口から出さない。
最初の会社では、葬儀屋は遺族の悲しみに寄り添う仕事と教えられたのに、次の会社では「相手の家見て車見て役職聞いてから値段を決める」やり方だった。互助会という組織は、半分は保証会社に積み立てる必要があるが、半分は会員のために使うことができ、会社が勝手に使えるようになっている。会社側にはとても有利なやり方だった。解約したら2割も取られてしまう。それは経済産業省の天下りに使われていく。
名古屋と福岡、札幌が一番互助会が強く、名古屋は8割が互助会だった。今は名古屋地区で金額では少ないが、件数では一番になった。本当に私たちのためにやってくれた遺族が思ってくれるから、会葬者が思うから、リピーターになってくれる。たった9年で4,000件の葬儀を扱うようになった。全国的には例がない。
死は敗北ではない。死は不幸ではない。もし不幸だとしたら、人間はみんな不幸に向かって生きていることになる。人は皆、死に向かって生きている。死は悲しいことではあるが、敗北ではない。
最近はやりの家族葬なんていうのは私は嫌いだ。確かに簡単にできる。でも亡くなった人の人生は家族だけのものだろうか。多くの友達やいろいろな人と関わってきた。「感謝葬」をやりたい。亡くなった方の人生を、関わってきた仲間を呼んであげなくて、認めたことになるのか。家族葬は確かに安くできるが、それで亡くなった方の人生の大切さを示すことはできるのか。仲間たちは葬儀で見送りながら、命の大切さを再確認し、さらに大切に生きることを誓ったりする機会になる。
業績の悪さを社会や人のせいにしている経営者が多すぎる。異業種交流会でいろいろな経営者と付き合ってきた。Aさんは大部分を1社に依存していたので、別方向に努力した。Bさんは今はいいからと依存したままで努力しなかった。結局Bさんは倒産した。
遠い未来をきちんと描いて、日々努力する。それが経営者の仕事だ。365日24時間年中無休がこの業界で当たり前なら、オレは「生涯無休」だと命がけで経営している。社員が増えてきて、取引先企業の社員のことまで考えると、ひしひしと責任を感じている。
「日本で一番ありがとうといわれる葬儀社」は生涯のスローガン。私が社長を辞めてもティアがある限り続く永遠のスローガン。
社員教育にも完全はないが、やり続けている。続けること。頭に考えていることが、行動に出る。経営理念の丸暗記、それを起業した日に一人朝礼から始めてやり続けている。理念とビジョンの共有。3ヵ年や5ヵ年計画だけでは駄目。
死を扱うことで、命の尊さを学ぶのが葬儀屋の仕事。
7月22日は365分の1日ではない。1分の1日。1年は1分の1日が365回あるのだ。かけがえなの無い1日・
この葬儀の仕事を通して、世のため人のために尽くす社員は、オレは命がけで守る。
経営資源は、人、モノ、金、情報と言われる。モノ、金、情報は資源だが、人は資源ではない。ヒトは会社そのもの。社長ができることはしれている。ティアの理念を実践するのは現場にいる社員。役員報酬をゼロにしても志事をする社員はリストラはしない。

Pドラッカー「何を売りたいかではなく、何を望んでいるかを知ること」

渋沢栄一。『論語と算盤』。部下からこれは儲かりますよビジネス提案があると、いつもそれは世のため人のためになるかと聞き返した。部下からこれは世のため人のためになりますよと提案があると、それは儲かるかと聞き返した。。儲かるだけでも、世のために人のためになるだけでも駄目。両立してこそやるべきだ。


※最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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