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商業界全国連合同友会総会 その1

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山下ミツ商店の山下浩希です。

箱根湯本の富士屋ホテルで商業界全国連合同友会の総会が開かれ出席している。(現在進行形)

小松会長(写真)挨拶、主幹挨拶と続き総会。

第1号議案 平成20年度事業報告 
第2号議案 平成20年度会計報告 
第3号議案 監査報告
を一括承認
第4号議案 平成21年度事業計画案 
第5号議案 平成21年度収支予算案 
を一括承認
第6号議案 役員改選 
を原案通り承認した。


続いて(株)アドヴァン山形雅二会長(写真)の講演。
講演「一所懸命」
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高校卒業し、住み込みで1畳の部屋で親父と同じタイル職人の仕事を始めた。独立する時に世話になった取引先には一切行くなと親父に言われ、失業も同じだった。手当たり次第知らぬところへ飛び込みで「何か仕事はありませんか」と回った。

商売の原点は、そんな時に声をかけてくれた一人の社長の声。声をかけてくれるだけで嬉しいというそのときの気持ち。
見積もりを出せと言われたが、見積もりの出し方を知らなかった。タイルが貼れるだけだった。その社長に三角スケールを文具屋で買って来いと言われ、それで計算して見積もれと教えてもらった。タイルを貼ること以外、見積もりも仕入れも何も知らなかった。親父の代からタイル屋なんで仕入先は協力してくれた。とにかく朝から晩まで働いた。

ある時その社長から「35万(当時はスゴイ大金)持ってすぐ来い」言われて、すぐに飛んで行った。多くの商売人が集まって勉強しているところへ連れて行かれた。職人の私は勉強なんてしたことなかった。夜中まで熱心に商売の話をしていた。

イトーヨーカドーの伊藤雅俊さんや多くの方の講演を聞いた。北千住のあの衣料品やからイトーヨーカドーになれたのか、それなら自分でもできるという気持ちになった。

誘っていただいてありがとうございましたとその社長にお礼を言ったが、「35万も持って遊びに行く奴は居ても、勉強に行く奴は居ない。行きそうなのはお前だけだから誘った」と言われた。

5人の会社で俺たちには時間と情熱しかない。この商業界ゼミがきっかけで必死にやった。

年金貰う年の66歳になって思うのは、健康で長生きすること。一生懸命に仕事して、たくさん税金払ってきたのに、年金がもらえるのはどんどん遅くなる。今まで3回ぐらい自殺しようと考えたことがある。それはお金が無い時。

一度目はバブル崩壊のとき。売上80~90億の頃、都銀なら無理だったろうが、結局140億も長銀に借りて、原宿の竹下通りの近くに1坪1億円で土地を買い建物を建てた。金は借りたら金利さえ払っていれば何とかなると思ってた。

お金なんか返すつもりは無かった。土地が高いので35m掘って駐車場を地下に作ろうと、それだけに5億かかった。そうこうしているうちに、取引先はみんなアドヴァンは倒産したとかトステムに買われたとか言われ、社員は動揺した。

死にたいと弱音を会社に居た兄に漏らした。兄に「会社で働く俺や社員はどうなるんだ」と叱られたが、本当に辛かった。バブルの時は誰も土地が下がるなんて思わなかった。

たまたま店頭公開できて、ワラント債などを発行できたお陰で、長銀に金利6%の借入金を返済しその危機を逃れた。150億の借金は6%の金利は年間9億円にもなった。それが5年間払わなくてよくなった。

欧州をIRで回ると、必ず原宿の資産を時価はいくらかと聞かれた。帰国して時価会計にするために、不動産を子会社に売却することにした。その当時120億の売上だったが、その売却損が120億円になってしまった。株主はどう思われるかとても心配した。発表と同時に株主に速達でその特別損失の理由を説明を送った。発表当日は株は売り一色だったが、その翌日にはもとの値に戻した。それからまた必死に働いて財務体質を改善した。

最近はまた原宿はH&MやForever21など行列のできる店ができ人気沸騰。都に歩道に少し売ってくれと言われ5000万で買ってもらい、6億も特別利益が出た。景気が良くなって、利益が出るようになると社員は危機感がなくなる。私のいうことも聞いてくれない。

朝礼は9時だったのを8時に。掃除は自分でやりなさい。景気が悪くなってきたら、やっと役員が私の言うことを聞いてくれるようになった。

若い社員はいろいろなことにチャレンジするが、社歴が長くなってくると新しいことに取り組まなくなる。設計事務所しか営業に回らなかったのに、コンビニの経営者に直接営業をかける。床のPタイルは掃除とワックスにコストがかかっていたのを、アドヴァンのタイルに変えると、自分たちで簡単にモップかけるだけで済み、天井照明も30%減らしても大丈夫。そうやって営業をして大きな販路を開拓した。

百貨店の売上をスーパーが抜き、スーパーの売上をコンビニが抜き、今度はそれをネット販売が抜いたという。我々建材業界も最近はネットで販売される。今までは施工業者が仕入れて作っていたが、施主がネットでタイルを買って、これで施工してくれと言うお客が増えて、その売上は40億までになっている。世の中は間違いなく変わっている。

職人さんは仕事がなくて困っている。その仕事どうやって作るかをアドヴァンが考えることでタイルが売れることになる。株主の前では株主さんが一番と言っているが、本音は業界として職人とともに善くなることが一番。私も親父も地下足袋をはいてタイルを貼る職人だった。

なぜ職人が一部上場企業を作れたのか?それは商業界ゼミで、「給料を貰ったら、それを全部使ってはいけない。それを会社の資本に入れろ」と教えられた。会社を大きくしていくと借入金は増えていく。そうなれば上場して資金調達しないとやれない。だから上場を目指さなくてはだめだと教えられた。上場するなら儲けなくてはダメと教えられた。儲けるためには工夫せよ。とその単純なことをやり続けてきただけ。

経営者後継問題について。
本当は社員の中から後継者を作りたかったが、結果として息子になっている。いろいろな企業の経営者と話をするが、どこも同じ問題を抱えている。親と息子の関係はうまく行かない。これは嫁姑問題と同じで3,000年前から同じではないか。双方が努力しないとうまく行かない。

銀行や取引先など周りが息子にゴマをする。それが一番問題だと思う。私から見れば、現場も知らない努力も足りないに決まっている息子を周りがお世辞やおだてる。
ただ不景気はいい。息子も私の話を聞くようになる。今までは役員会でも息子は私と眼を合わせなかった。それが不況の最近はやっと話せるようになった。

息子にとって親父はうるさいもの。嫁にとって姑はうるさいもの。でも言うべきことは言うべき。息子には父の日には必ずプレゼントを持って来いと言っている。私は嫁に言っている。「あなたは一部上場企業の社長と結婚したんじゃない。職人の息子と結婚したんだから、慎ましく暮らしなさい」


※最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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